石井宏樹(いしい こうき)
1990年生まれ。鹿児島のソングライター。
自宅で一人、iOS版GarageBandで録音した楽曲をサウンドクラウドに公開していたところ、地元のソングライターに見つかってしまい、外の世界へ引っ張り出されてしまう。2017年1月に初ライブを行って以降は柄にも無く精力的に楽曲制作、ライブ活動を継続し、まんまと今日に至っている。
2018年10月、初作品となるシングル「火」が全国リリース。
石井宏樹の独特の感性を作り上げてきた音楽遍歴
―聴いてきた音楽はどういったものがありますか?
まず音楽にハマったというか、バンドサウンドにハマったきっかけは、高校一年生のときに洋楽好きの友達がいて、当時俺は流行してるバンドぐらいしか聴いてなかったんだけど。その友達からNIRVANAのNevermindを貸してもらって、普段聴いてる音楽とは何かが違って、そこで海外のバンドを聴いてみようと思った。それでリサイクルショップに行って、アルファベット順に並んでる中古CDコーナーのA列の一番目に合ったThe Allman Brothers Bandのフィルモアイーストライブっていうアルバムを買って、サザンロックっていう言葉を知って、そこからバンドサウンドにのめり込んでいきました。
―石井さんは中学からギターをしていたそうですが、その時は特にバンドサウンドが好きだったという訳ではなく…?
その年齢ごとに好きな音楽というのが違っています。だからその時々の音楽活動に影響を与えてるサウンドも違うというか。18歳からpictures mode staff(現在は活動休止)っていうバンドをしていたんですけど、そのときはbloodthirsty butchersに大きい影響を受けていましたし。石井宏樹の名義で活動しだしてからはジョン・ガストロっていう人に影響を受けて。その人は日本人なんですけど、ライブしないから誰も顔も知らないし、ただSoundCloudに曲を上げてる人で。その人の曲を知ったときに、一人でやる音楽の楽しみを知った気がして、そこから自分でも作り始めました。
今までの活動について
―pictures mode staffの活動休止から今回のソロ活動開始までしばらく間が空いてますが、その間は何を?
23歳から26歳までの間は鹿児島を離れていました。音楽活動もしてなかったです。石井宏樹の名義で始めたのが26歳の時ですね。
-最初個人名義の活動始めたとき、公の場には出ないでネット上だけの活動にしたいと仰ってましたが、今こうやって公の場に出てくるようになったきっかけみたいなものはありましたか?
鹿児島のわかまつごうっていうアーティストが僕の曲をSoundCloudで聴いてくれたらしくて、Twitterづてに「ライブに出ないか」っていう連絡をくれて、2017年の1月に石井宏樹の名義でファーストライブをしました。そこで思いの外たくさん褒められたもんだから、流れで続けています。
―そこで褒められなかったら…?
たぶん続けてないですね。そもそもライブがあんまり好きではないから。
―先日りんご音楽祭2018に出演されましたが、出演のきっかけはなんだったんでしょうか?
2017年の10月に友達に誘われて東京でライブをしたんですけど、そのライブをした場所のオーナーが音楽レーベルをやっていて。そのオーナーと仲良くなって「うちのレーベルからCDを出さないか」っていう話に早々になって。で、2018年の始めには外に出て行く挑戦のつもりでフェスのオーディションを2つ受けて、どちらも受かりました。その一つがりんご音楽祭でしたね。ラッキーでした。
―ラッキーだったっていうのはなぜですか?「実力で勝ち取った!」と言えないのは?
みんな良い音楽してますからね。正直弾き語りって音楽に関しては、自分の中の感覚ではよほどじゃない限り「ずば抜けて良い!」っていうものではなくて。自分の音楽も別にまるっきりフォークソングだけをやってる弾き語りではないから、聴いてる人はある種もの珍しさから「良い」って言ってるんじゃないかなと思ってますね。
共感を生む音楽のワケ
―石井さんの音楽は他の音楽と比べて共感性が強い感想を持たれると思うのですが、気遣っているところとかありますか?
俺自身が恋愛にしても仕事にしても、全然ドラマチックな人間ではないし普通というか、歌を歌っている以外は割と当たり前な日常を送っているので、曲の歌詞をかくときに一番気にするのは「喋り言葉である」とか「日常的に使う言葉である」とか、自分が格好つけたときとかダサかった時とかの思い出をなるべくそのまま書くようにしています。その結果共感を貰ってるんだと思います。でも共感させようとは一切思ってなくて、真逆のことを思ってるぐらい。
―今回の全国流通した「火」に入っている「絵」という曲が、私的には誰にでもある日常を歌った歌のように感じたのですが…
あの曲の歌詞こそまるっきりあったことをそのまま歌にしたものですね。23歳のときに鹿児島を離れて一番最初に住んだのが愛知で、そこで半年間一緒に共同生活をしていた女友達との、俺が愛知を離れる前の最後の夜からその日までの出来事をただ歌詞にしました。
―女友達なんですね、恋人かと思っていました。
そうですね、女友達です。愛知では下宿に住んでいたんですけど、そこに住んでる人がほとんど美大生でその女友達も美大生だったんですけど、自分の部屋が汚すぎて寝れないから俺の部屋で寝かせてほしいという理由で住み始めて。だから一緒に住んでたのは3ヶ月ぐらい。
そのときは音楽を辞めてたんですけど、普通に生活してたある日寝ようと電気を消す前、何を思ったのかその子が「石井は音楽やったほうが良いと思うな」って言ってきて。音楽してたとかそういう話一切してないのにこういうこと言われるんだな、と思って。だからその子が「また音楽やろうかな」と思ったきっかけの一つにもなっています。
―なるほど。では、「火」はどういうエピソードがあるんですか?
「火」は、鹿児島にその日暮らしっていうバンドをしている島崎清大という男がいて。恋人とラブラブな時は調子いいんですよね、そいつ。で、この曲を書くぞってなった当時の彼の恋人はバンドマンだったんですけど、俺はバンドマン同士の恋愛ってそもそも上手く行かないと思ってる方で。でも楽しそうな清大を見てて俺もなんか心がちょっと緩んでしまって、「2人が結婚して式をあげるときにはこの歌を歌うね」って送った歌ですね。でも思った通りあっさり別れてましたけど(笑)。
あれはそのままですね。経緯から全部そのまま歌詞になっています。結構長生きした飼い猫だったんですよね、俺が鹿児島帰ってきてすぐに死んだんですけど。そのときに弔いの意味で作りましたね。
でも、あったことをそのまま歌詞にしただけだけど、歌詞を書くのにものすごく時間がかかりました。
―確かに、歌詞がすごく文学的ですよね。歌詞だけを読んでも小説のよう、というか。そういう、歌詞を書くときに大切にしていることとかはありますか?
歌を作る時は必ず背景があるもんだと思っていて。そういう背景を書かずにあったことだけを歌う曲もあるけど、俺は基本的には自己満足で作っているから、なんとなく「記念」のような気持ちで歌を作っている節があって。だから自分で曲を聴き返したときに「こういうこともあったなあ」と思えるような、写真をアルバムに収めるように、背景まで事細かに歌詞にしようとは思っています。
あと本が好きなので、村上龍さんと町田康さんの影響が文章に大きく出ていると思います。
―今回CDを全国流通で出されましたが、今後の目標などはありますか?
あまり、近い将来に夢はなくて。自分の人生として「音楽で食えるようになりたい」とか、そういう報われ方がしたいとも思うんですけど。一番は、俺が60歳とか70歳になったときの時代の若い世代が俺のCDを見つけ出してくれて、「この石井宏樹ってやつ実はめっちゃかっこいいことしてるな」って感じで、次の才能が音楽になる時の要素として俺の音楽があればいいなっていうか。そういう将来の音楽に貢献したい気持ちはあります。
石井宏樹 シンガーソングライター —最後に一言 CD買ってください。 |
取材まとめ
「りんご音楽祭2018」や「「GO AROUND JAPAN 2018」などに出演し、全国流通盤のリリースなど、今一番鹿児島で熱い男・石井宏樹の過去から現在に至るまでの核心に迫れたのではないだろうか。「鹿児島の怪魚」の異名を持つ彼が今陸に上がってきて、これから彼を知っていく人たちがどのような反応を示すのか今後が楽しみなのは、私だけではないはずだ。